私のSUZUKIと早戸川 連載・第2回「黒山巡査の白バイ全国大会」


白バイ全国大会に向けて大会10月までの訓練期間中に、個人的に出たひやかしのトライアルの大会は、新車のホンダTL125バイアルスを買って腕試しに出た鈴鹿サーキットでのスカクラス優勝1位1回のみ。

この時のTL125バイアルスって、保安部品は前後で3分もあれば外せる仕組みになっていて、本当に保安部品を外しただけのドノーマルバイク。白バイ大会がこのドノーマル仕様でやるんだから、どこかをいじって性能アップなんていう発想もないし、やろうにも道具も技術もないし、やってくれるところも知らない。

今考えてみると、関東はこのTL125を145ccにボアップしたり、他、いろいろ改良し戦闘仕様にして、西山、万沢、成田の3氏がイギリスの6日間トライアルSSDTに出場したりしていたもんで、けっこう改良改善が進んでいたと思う。でも関西の方はヤマハのTYが強くて、ヤマハTY250の改良は進んでいても、ホンダ125はいじくるノウハウはあんまりなかったような記憶あり。

さて初めて出たトライアルのこの大会の記憶はかすかにあるんだけど、最終セクションの難しい登りの鋭角右ターンを決めてクリーンでアウトしたら、三重県警の人が寄ってきて「あんた大阪府警の人でしょう。最後のクリーンがきいて勝っていますよ」だって。なんで三重県警か分かるかというと、着ているジャージにMIE.Pと刺しゅうがしてあったから。

その三重県警の人が誰なのかはまったく知らないけど、今も昔もまったく変わらない警察白バイ訓練隊員の定番風体容姿、「ジャージ姿上下に、頭は短く刈り込んだスポーツ刈、力を持て余し気味のいい体、問答はキビキビ自衛隊風」で、すべてが私とほぼ同じだったのを覚えている。

「勝った勝った」の喜びなんてなく、これ一回で一般のトライアル大会出場は考えることもなく、以後は、ひたすらその年、10月の白バイ全国大会目指して近代五種競技と同じく、以下の五種目の訓練に励んだの。

(1)スラローム→自動車試験場みたいなコースをクルクル一人ずつ走ってタイムを競う
(2)不整地走行→TL125でモトクロスコースを一人ずつ走ってタイムを競う
(3)トライアル→今の私たちがやっているトライアルとほぼ同じ
(4)速度感覚 → 鈴鹿サーキットのショートコースを、指定された決められた時間で白バイで一周して、そのタイム誤差を競う
(5)目測→30秒間隔で10台の車が走ります。その1台ずつの・速度・色・乗車人員・ナンバーをメモして正誤を競う

 誰もほめてくれないから「自画自賛」で言うけど、千葉県警の西本良太みたいにトライアル国際スーパーA級の“鳴り物入り”で警察入りし交機隊訓練に入ってきて、その年に全国大会に出場するのは、その経歴からして当たり前のような気がしないでもなし。でもこっちは、この間まで投げられっぱなしの柔道一本道で、オートバイなんか運転免許は持っていたけど乗ったこともないのが4月に入ってきて、その年の10月の全国大会に出るなんて、昔も今もない気がするけど、これがなんと西本と同じく出させられてしまったのです。

西本もそうだけど、私を含めて「寝かせておいて次で使う」という作戦が、警察訓練には今も昔もないような気がする。私は白バイ訓練のコーチはしたことはあっても監督はなし。監督の立場になると「来年使いたいけど目先の今年、使わざるを得ない」状況だったんだろうね、多分。

高校のスポーツは3年以内に使わないと卒業してしまうように、白バイ大会は私の時代は3回出たら終わりで、今は2回だそう。

これだとどうしても短期決戦になって、仕上がっても仕上がっていなくても、次から次に選手を変えていかないといけないのは、しかたないのかな。

結果、(1)のスラロームは3位、(2)不整地走行は1位、(3)のトライアルは2位、(4)の速度感覚は5位、(5)の目測は7位の、個人総合2位だった。

当時の記録を見ると、以下の通り。

第6回1974年
(一部)1位 福岡県警、2位 大阪府警、3位 警視庁
(二部)1位 三重県警、2位 岩手県警、3位 滋賀県警
(個人総合)
1位/福岡・久保井弘陽、2位/大阪・黒山一郎、3位/福岡・蒋野一利

 個人総合1位の白バイ日本一は福岡県警の久保井さんという方で、以後、九州各県から40年間以上白バイ日本一が出ていないから、この久保井さんがいまだに九州の7県警のうち、ただ一人の白バイ日本一記録保持者という次第。大阪府警は、二人の白バイ日本一がいるのかな。

個人総合3位は同じく福岡県警の菰野(こもの)さんという方で、私も福岡県出身なんでこの年の1、2、3は全員福岡県出身者だった。

蛇足ですが、1位の久保井さんは後年、食道咽頭ガンで“ノドの部分”を取ってしまい「つんく」と同じで声を出せなくなり、2位の私は“食道と胃”をWガンで取ってしまい腹いっぱい飯が食えなくなり、3位の菰野さんは“大腸ガン”で人工肛門だとか、という結末。

お二人さんともに私と歳がそうは変わらないはずだから70歳前、警察官、まじめに停年まで勤め上げるとけっこう体にガタがくるんで、久保井さんも菰野さんも、まだ生きてんのやろか‥‥。

のようだから、毎年、白バイ全国大会に向けて訓練にお励みの全国の若き警察官貴兄、あんまり入れ込んで訓練にお励みになりますと、必ずやガンに見舞われますのでガン保険にお入りになるのが肝要なり。

大きな会社の健康診断なんて「はい次、はい次~」のオートメーションみたいな、「やりましたよ~」的な、おざなり健康診断。

やっぱり、消化器系の検査は「上からと下からと、カメラを飲む差し込む」のが一番で、私なんか口からの胃カメラなんか数限りなく何度か覚えていないくらい飲まされ、肛門からの大腸カメラは大腸ポリープを取る必要があったんで5回以上は入れられている。

やっている先生は分からないだろうけど、やられている、差し込まれている本人は、その「うまいへた」がよく分かります。胃カメラは標準的に「食道→胃→十二指腸」までで、大腸カメラは「大腸の突き当たりの盲腸」までで、この抜き差しはトライアルと同じでスカと達人あり。

下からの方はそんなに痛み苦しみはないけど、上からのはへたなのにやられると気を失いそうなくらいの苦しみ。だから今は胃カメラは、希望すれば上半身麻酔をした状態、半分眠った状態で受けることが可能。

私のいた兵庫医科大学病院は、上も下も「入れる先生を指名」できる、まるで、キャバレーみたいなシステムになっている。健康を維持するためには「まずは内部を直接見る精密検査」で、これが一番ですよ。

話は前後します‥‥。

白バイ訓練中にMFJ(モータースポーツの親分組織)から、一通の案内が来ました。「中部選手権で20点獲得したから、11月の第2回全日本(神奈川県早戸川)選手権大会のノービスクラス出場資格がある→出るか出ないか?? 返事せよ」なんだって。

記憶では、この案内が来たのがまだ8月頃で、「へぇ~こんなんあるんだ。早戸川ってどこなん??」で終わり。早戸川大会に出るなんて、頭の中をかすっただけで白バイ訓練の方へ全力集中。

そうこうしていると、白バイ大会も迫った9月ごろスズキから4人の部外講師の方が大阪府警においでになり、指導を受けます。

そのうちのお二人は単におしゃべりだけの担当でしたが、オンロード乗車指導がマン島TTレース50cc日本人初優勝の伊藤光男さんで、オフロード乗車指導が現役のモトクロスセニア(今の国際スーパーA級)ライダーで、なおかつトライアルもスズキワークスの昨年のエキスパートゼッケン5の名倉直さん。

サーキットレーサーの伊藤光男さんは「スラロームを速く走るためには、一番大切なのはライン取り」で、モトクロスとトライアルの名倉直さんも「いかにうまく走りきるかはライン取り」で、どちらの指導も「ライン取りがイの一番」だった記憶あり。

健一の今年(2016年)の全日本最終戦SUGO大会の最後の最後SSの第2セクションで、最初に決めたライン走って、途中で右に振られて緊急避難、そこで踊ってなんとか復活、クリーンで決めて逆転勝利しました。

これって、たまたま右にあわてて緊急避難したわけではなくて、右に振られた場合の逃げのラインを頭の中の予備ラインに入れている範ちゅうのラインなんだって。今も昔も、やっぱり「走るスポーツはライン取り」なんでしょうね。

さて、この指導を受けている期間中に、
「名倉さんってトライアルやってるそうですが、11月にやるトライアルの全国大会に出るんっすか。」
「自分も出る権利があるんすよ、出る出ない、なんていう招待状が来てるっすけど、出てやろうと思ってるんすよ。」
「早戸川ってどこっすか?」

なんて、大阪よりも東京に近いバイクのふるさと老舗の浜松もんに、警官がなめられたらいかんので九州なまりの関東弁で聞く。まあ、スズキ講師陣の方々も、デビューした頃の小川つよぽんと同じで「若いのは生意気くらいでちょうどいい」と、お許しいただいたような気がする。

現役バリバリのトライアル超一流ライダー相手に、バカな質問をしたのがそもそもの私のトライアル人生の始まりだったとは‥‥‥。そして警察官まで辞めて、長男健一を連れて本場ヨーロッパまでトライアル武者修行に行ってしまうとは‥‥。

これが25歳の時でしょう。今、68歳だから以後43年の長きにわたりトライアル人生、というよりも、息子2人がやって、孫3人も引き続いてやっている。とにもかくにも「命のやり取り喧嘩トライアル」を、一族郎党、現在なお強力進行中‥‥。私のトライアル、死ぬまでトライアル道一本で「死なないと終わらない」のは、確実模様。

イギリスのマーチン・ランプキンは「孫も世界チャンピオンにして、世界チャンピオンを4世代続けるために」と頑張っていたけど、私と同じく胃ガンにみまわれ、見つかった時は手のほどこしようがなく旅の途中で逝ってしまった。私の場合、現世でトライアルが終わっても、めんどうをみた女子部の8人全員とは「死んで向こうで、誰かと会ったら夫婦になろう」の約束ができているから、向こうで定住女さがしをしなくていいから安心である。

でもまだ、旅の途中だから逝けない。

次号は「黒山巡査がなぜスズキトライアルバイクに乗ったのか」なのだ。

こちらは黒山一郎さんの次男、二郎さんの奥さん、まみさんの描いたイラストは今のまみさんの心境でしょうか。一郎さんの孫、りくとくん、じんくん、たおくん。黒山一郎さん、黒山健一選手、黒山二郎メカニックが日々繰り広げるトライアル環境の中を元気に育っています。そして三人ともトライアルが大好き。彼らはきっと次の日本のトライアル界、いや世界のトライアル界を賑わせていくことでしょう!