私のSUZUKIと早戸川 連載・第3回 黒山巡査がなぜ SUZUKIトライアルバイクに 乗ったのか


黒山巡査がなぜ SUZUKIトライアルバイクに 乗ったのか

飛ぶ鳥落とす勢いの現役トライアルプロライダー、スズキワークスの名倉さんに、単に地方選手権スカクラスで1回勝っただけ、の私が「全日本の早戸川はどうやって行くんすかぁ~」なんて、関東弁で相手をなめて聞いたんだから、今思い出しても恐ろしいよね。

スズキの講師の方が、大阪府警の白バイ訓練部外講師としておいでになった時に、名倉さんは現役バリバリのトライアラーRL250改ワークスマシンを持って来ていたの。

今考えると、たとえば大阪府警の若い衆がうちの健一に「黒山さん、そのヤマハの後方排気ニューワークスにちょっと乗してもらえんですか」のようなものだけど、これを当時、怖いもの知らずで「乗せてみてくれゃあ~」と、横柄な態度、上から目線で言ったのです。

名倉さん「お客さん相手にどう返事をしようか」と迷った顔をしておられましたが、上司の伊藤光男さんが「乗せてあげたら」で、しぶしぶ了解していた記憶あり。

市販スタンダードホンダTL125の4ストしか乗った事がないのに、いきなりギンギンのワークス250の2ストでしょう。 ガ~ンっとウィリーをしてエエ格好みせようと軽くアクセルをあけただけなのに、ワークスマシンは見事に股の間から消えて5メートルくらい先まで吹っ飛んで行きました。

はいこれで、当時まだレンサルハンドルなんてなく、モトクロスから流用したバー入りの鉄ハンドルがひん曲がり、名倉さんが「この野郎~バカが」という顔をしていたのを鮮明に覚えている。

人生初のワークスマシン試乗会は、この一瞬で終わり。

これが、大阪万博跡地駐車場での昼休みの出来事で、その日の夜に歓迎激励の一杯飲み会が、いかがわしくない健全な割烹料亭でありました。

この席で

  • 早戸川の大会に出たい
  • でも、場所はどこなのか
  • バイクをどうやって持っていくか(当時は360ccの軽トラックに乗っていた)

等々うんぬんを、昼間のバイクを壊した粗相不始末はどこ吹く風で名倉さんに相談ぶって話しかけ。一杯入った名倉さん、うっとおしそうな顔をしていたところに、上司の伊藤光男さんがまたもや助け舟。

  • 大会の2日前に浜松のスズキ本社に、ヘルメット、ブーツを含めて乗る服装を全部持って来なさい。
  • バイクは名倉君のスペアバイクRL250ワークスを用意しておくから、それに乗って大会に出なさい。
  • メカのことについて分からないだろうから、一人メカをつけるから心配するな。
  • 浜松から神奈川県早戸川会場の往復は、スズキのワークスバンに乗ればいい。
  • ホテルもこっちで予約しておく。

んだって。  これがどういう事を意味するか、怖いもの知らずの私は「あ~よかった」と、単純に喜んでOK!!「ありあとあんした~♪」で、スカたん公務員相手に、スズキがなんでこんな優遇VIP待遇してくれるかなんて、政治的なことなんて考えるはずなし。

35歳で警察やめて世界選手権に挑戦した私の、10年前の25歳なんて「さらにもっとスゴイ性格」だったんでしょうね。 今考えると「あ~恐ろしかぁ~」以外の何ものでもなし。

◎黒山巡査の、早戸川って何ぃ~?

聖地は、学問でも宗教でもスポーツでも、その事にあこがれてやっている人にとっては、一度は踏んでみたい、踏まねばならない、憧れの地です。イスラム教徒にとっての聖地が、メッカです。

その昔のグループサウンズのゴダイゴという肥満体型の兄ちゃん達が歌った「ガンダーラ~♪」は、インド(中国名・天竺・てんじく)にある仏教の聖地というか地方の名前。

中国からこの仏教の聖地ガンダーラに旅するお話が、三蔵法師ひきいる孫悟空、沙悟浄、猪八戒の聖地巡礼物語なわけ。

中東シナイ半島の、エルサレム旧市街の2キロ半径の中に「イスラム教・ユダヤ教・キリスト教」の三大聖地があるから、これがまたややこしくて有史以前からいまも続くもめ事の原点。

天理教は、その名の通り天理市だし、エホバの証人は神奈川県の海老名市で、創価学会は東京新宿区が聖地。柔道の聖地は東京の講道館ですが、さて、トライアルの聖地はどこでしょうか。

関東の真壁は歴史はあるけど、聖地と呼ぶには少し狭すぎるし、関西にあった生駒テックはいいけど、もうない。私がトライアルを始めた時代は、神奈川県の「早戸川」が、名実ともに憧れの威風堂々貫禄ある聖地でした。

ムショ帰りじゃないけど、早戸川帰り、にすごく憧れ、トライアルやっている限りはぜひ一度は踏みたい聖地でしたね。

43年前の当時はDVDどころかビデオも数少ない時代で、オートバイ、モーターサイクリスト、サイクルサウンズ、ヤングマシン、オートヤング等々のバイク専門誌に載る早戸川の写真を見て、高校時代に初めてアメリカの男性雑誌プレイボーイを見て興奮していたのと同じ感覚で、興奮して見ていたのを覚えてる。

白バイ全国大会も終わり、何日だったか忘れたけど、残ってる有給休暇を使って11月全日本の2日前の金曜の午前9時に、当時乗っていた360ccのスズキキャリー軽トラに乗って大阪から浜松のスズキ本社へ。

軽トラックで朝に浜松に届こうと思えば、夕方に大阪を出て深夜に浜名湖インターに到着し、寝酒の安酒をあおって前夜は車中泊。

次の日の朝一番、スズキ指導員の方から聞いていた、本社受付にいる絶世の美女受付嬢の「相曽良子(あいそよしこ→これ本名)」さんがいたのでご挨拶。背はそんなに高くなかったけど、メーテルさんよりも美形だったのを覚えている。

すぐに「SRS(スズキレーシングサービス)」という場所に連れて行かれ、そこで初めて自分用のワークスのRL250とご対面。  マイバイクであるホンダバイアルス125と、比べ物にならないくらいの超先鋭的バイクだったけど、なぜか鉄のサイドスタンドが付いていたんで取り外してもらう。

警察独特の極端なリーンアウトの姿勢で8の字ターンをして、これ見よがしの肩慣らし。 「では行きましょうか」で、今のコースターみたいなのに何台ものバイクを積み込んでライダーとメカの総勢5人で出発。

記憶では、遅い昼メシを食ってから聖地早戸川入りしたんだけど、初めて見る早戸川、関西にはない地形ロケーションにびっくり。

早戸川は風光明媚な山中の渓谷がトライアル場ですが、関西に渓谷でトライアルする場所はないの。まず関西には、基本的に渓谷がありません。

これだけでも胸ドキドキなのに、専門誌の中でしか知らない一度は見てみたかった超有名人、ヤマハワークスの高校3年生“神童・木村治男”の生を見たのにもドキドキ。

関西の乗り方は「激しく体を動かして」乗ります。田舎のプレスリーの私は、もちろんこの乗り方だし、これがトライアルライディングだと思ってた。

ところが神童・木村治男は、まったく動かず、股の間で“バイクだけを遊ばせる”ライディングスタイル。

OSSAの魔法使いミック・アンドリュースのまな弟子、というふれ込みにあこがれがプラスでドキドキして見ていた。

まだ高校3年生のくせに、妙に落ち着きはらった乗り方に、当時も今と変わらぬ肥満体型。 練習のステアケースなんて「登る」んではなくて「激突破壊」って感じ。

「すごか高校生がおるバイね」と思ったのが、時は経ちウン十年、今はなんと健一と二郎の上司でありお目付役。  二郎なんか、毎日のように健一のワークスバイクの秘密の部分をいじりバラす時、必ず上司木村さんの許可を電話で得ている。

今現在、キャブレターのないフューエルインジェクションで、後方排気エンジンうんぬんで、黒山健一選手のためだけの戦う最新ワークスバイクを設計して作ってもらって、まだまだおつきあい現在進行中。

相当に話が飛びますが、私が‘81年に2度目の全日本チャンピオンになったバイク「ビーミッシュスズキ」は、現在、磐田市にある木村バイクミュージアムに展示されているのです。

まさか、あの高校3年生の神童・木村治男が、年月が経ち今、黒山ファミリーともちつもたれつ、こんな関係になろうとはね。

さあ43年後の今現在、高校3年生の頃の神童・木村治男さんの生を見て知って覚えているのは、今、何人いるでしょうか。あの頃と今も、動きも体型もまったく変わらないというのもすごいの一言。 「人生がブレていない」という表現が当てはまるのはカッコいいけど、いまだにその肥満体型もぶれていないので、YSP京葉の大月さんや、エトスデザインの近藤さんのように「インスリン注射器を持ち歩く」ほどの糖尿病だけは、お気をつけくださいね。

ヤマハが持ち込んだ一品ものの、木村治男の駆るワークスマシンには後ろサスペンションが付いてないの。まあ、今、二人の孫が乗っているホンダRTL50Sと同じくカンチレバー・モノサスと呼ばれる一本サスの原型のバイクだったんだけど、これにもビックリ仰天の助三郎。

会場入りした金曜の午後から練習できて、初めて乗る2スト250ccに慣れようと、張り切って岩に飛び乗った途端に行きすぎて向こうに落ちて、川の中にドボンとバイクが完全水没。

ヤマハの高校生木村治男の生を見たのに感激した以上に、完全水没したRL250をアッという間に復活させたスズキのメカニックの手際のよさにも感激。

SSDT帰りの成田さんや万沢さんに「自分のバイクは自分でいじるのがトライアル」と洗脳され、そう思っていた私には衝撃的な出来事。見ているだけで、何にも手を汚さずにまた元に戻ってしまう。

この事が私のメカに関する以後の基本姿勢「ライダーにはメカをやらせるな」で、少年チームブラック団の鉄の掟の原点。

  • 子供は乗るだけ、バイクをいじらせるな親がやれ
  • いじらせると、バイクを壊すような豪快な走りをしなくなる

なのである。

この日、金曜の夜は連れ込み旅館か木賃宿(この表現は今や死語ですね)みたいな和風宿に行き、警察だったらこんな日の夜は「前祝い、まあ飲め、俺の酒が飲めんのか」のチャンチキ宴会なんだけど、レースが仕事のワークススズキはただ食べて寝るだけ。

警察や銀行に勤める人たちは、すべてがそうとは言わないけど「秘密の多い職業だから部外者とのお付き合いが少ない」職業です。

その反動で、部内者仲間同士が集まるとすぐに融和協調名目の飲み会が始まるのが警察の常ですが、大会がまだ2日後なのにスズキチームは「夜はただ食って寝るだけ」にもビックリ。

ブーツの中まで濡れてしまったゴム長トライアルブーツのサミーミラーブーツの中に、新聞紙を入れて逆さまにしておくと、朝には不快感なく使えるまでに新聞紙が水分を吸い取る、のも、この旅館でメカニックに教えてもらった。

それにしても、トップライダー以下全員が「鉄道弘済会で売っている」ような、イギリス製靴底に鉄板の入ったゴム長をはいてトライアルしていたのも、古きよき時代である。

さて、いよいよ翌日土曜日は、初めての全日本初体験。まだ戦わないけど前日の受付車検と下見。

この時から38年後に、長年の飲酒暴飲暴れ飲みがたたって「5年生存率40%の食道&胃ガン」になるともつゆ知らず、ビールと日本酒をスズキ経費持ちだからと、金曜の夜に引き続き、黒山巡査ただ一人ガンガンあおり飲んで爆睡なのだ。

蛇足ですが、後年に名倉さんにこの夕食時の飲酒について思い出話として職務質問してみると「レース参戦は、遠征中は24時間勤務中ですから」の、お見事なお答えがかえってまいりました。

本日はここまででおしまい、また次には書けるかな~♪

こちらは黒山一郎さんの次男、二郎さんの奥さん、まみさんの描いたイラスト。一朗さんの孫、りくとくん、じんくん、たおくん。黒山一家の楽しく熱く、そして厳しいトライアル環境の中を元気に育っています。実はまみさん、幼稚園の先生だったのです。