私のSUZUKIと全日本6 連載・第12回


(マラソン競技並走の巻、つづき)

●バッテリーのフル充電か新品交換

クルクル回る回転灯をバンパーの上に二つと後ろ一つ、合計三つも灯けっぱなしで、あげく低速走行なもんで、充電機能のおとろえた古い白バイが、なんだかの理由で競技中にエンジンを切って停止して、次に再始動の時、バッテリー上がりでセルが回らずエンジンがかからなくなる事がよくありました。古い白バイはバッテリー交換をさせられ、新型タイプでもフル充電は命令です。

●回転灯の電球交換

今みたいに消費電力も少なくまず切れないLEDの電球なんかなくて、その時代の回転灯はすべてエジソンの発明した真空の中でフィラメントに電気を流す白熱電球ですね。これが3時間も灯けっぱなしのあげく、すぐ横をモーターで反射板をガタガタクルクル回すもんだからショックでよく切れたのです。全車すべての回転灯の白熱電球新品交換も命令です。

3つの回転灯のうち1個切れたから(全部でも)といって整備不良ではないのですが、やっぱり見る人が見たら「あの白バイは整備不良と違うの?」と言われますんで、切れたら並走を離れて停止し、最後尾についている白バイ専用修理カーが来るのを待って電球交換、その後に並走に復活します。これも事前の手はず通り。

左右の回転灯は自分で確認できますが、後ろはできません。後ろは後続の白バイが玉切れに気がついたら、追い上げて知らせるという手はず。

●エンジンオイルを全車交換

3時間近く、半クラッチでノロノロ走るわけでしょう? 経験上、エンジンは空冷でも大丈夫だったけど、クラッチがおかしくなります。「おかしくなる」とは、ほとんどの場合、クラッチレバーを握るところがなくなり、つまり全部遊びになってゆるんゆるんになってクラッチが切れなくなります。つまり、半クラッチでスピードを落とせなくなるのです。この現象は、今のトライアルバイクでも同じですよね。

エンジンオイルを新品交換したからといって、これがなくなるわけではないけれど「しといたほうがいい」ということで、全車オイル交換は命令です。

今もたぶん同じだと思うけど、マラソンの並走で低速走行ばかりするといっても、白バイの前後のスプロケットを交換してより足を遅くすることはしません。3時間、すべてクラッチ操作で対応します。こうなるとやっぱり、クラッチ操作はドラエモン握りがパーフェクト、つまり、疲れ果てるんで指全部同時操作しかないですね。

●増田明美さんのこと

そうそう、オンナ瀬古と呼ばれ、女子3000mから上の長距離すべての日本記録を塗り替えた、超有名人の増田明美さんに並走していた一郎さんのお話の続きですが、増田さん、前兆も何もなくていきなりその場にうつむけに倒れました。当然、私もその前方に止まります。

知らんふりをしてマラソンの流れに沿って、そのまま走り続けはしません。すぐに起き上がってまた戦列復帰するかもしれないからで、これも事前の打ち合わせの通りです。

マラソンでも駅伝でも「偶然の接触以外、ランナーに部外者が故意に触った瞬間に失格リタイア」で、これは手助けした、という理由ですが、わざと触って失格にする手口は「走路妨害」で失格にはなりません。で、増田さんが倒れたからといって軍歌風に「しっかりせよと抱き起こす」ことは誰もできません。ただ、見守るのみですね。

マラソンも箱根駅伝もまったく同じで、フラフラきた選手に監督が歩きながら話しかけるのはOKですが、触ったり抱きかかえた瞬間に終わり、失格です。

メジャーではないですが、大阪駅伝にも駆り出されましたが、タスキを渡す中継点、渡す人ともらう人が瞬間でもいいからタスキに同時に手がかかっていなくては失格になります。フラフラになって中継点までたどり着き、30センチでも投げて渡すと失格です。

増田明美さんが倒れ、今みたいに携帯も何もないので監督を呼ぶこともできず、後続の救急車両に乗ったスポーツドクターが来るのを待ち、到着したドクターが何か声をかけていましたが反応がないので、腕をとって脈の反応を見た瞬間に増田選手は失格が決定しました。

こうなると、あらかじめ決められている通りに、私はしばらくその場にいて最後尾に回ります。大阪女子マラソンはコースに天王寺区や生野区の近くを使っています。天王寺区や生野区は今も昔も朝鮮半島の人が多く住んでいまして、韓国人ランナーの応援に多くの同胞が沿道に応援すべく並びます。

これまたたまたま、最後尾についた女子ランナーが韓国から来たランナーで、ハングル語の応援の凄まじい中を並走したのも覚えてる。今思うに、今の北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)将軍様を讃える、プロパガンダのおばちゃんアナウンサーと同じ話し方応援の仕方で、どう喝に近い応援の仕方だった記憶もあり。

この韓国人女子ランナーに並走する時、少し近くに並びすぎたのか「もう少し離れろ離れろ」と、手で「あっちへ行けあっちへ行け」の合図を送られたのもまた覚えている。

やっぱり一郎さん、いつでもどこでも何をしても、白バイに乗っても嫌われていたんやね。

●マラソンの足切り

メジャーなマラソン出場は「足切り・やめさせられる」との戦いのスポーツです。ホノルルマラソンのように、いくら時間がかかっても完走すればOK、ではありません。折り返し地点で先頭が通過して「30分以内」に折り返せないランナーは、強制的に失格になって走るのをやめさせられます。20分と決められているマラソン大会もあります。

こうなると「足止めさせられたランナー」には、以後は以下の選択があります。

  • 折り返し地点に待機している主催者側の用意したバスに乗り、着替えなんかを置いているスタート地点に戻る。
  • 主催した側のバスに乗りたくなければ、あらかじめその近くに待機させている友達の車に乗って家に帰る。
  • 大阪市内が折り返し地点になるので、友達に着替えなんかを持たせて待たせ、いっしょに地下鉄に乗って帰る。
  • 折り返し地点でゼッケンを剥ぎ取られますが「完走する」という自分の気持ちを納得させるために、他の道を使ってスタート地点まで意地で走って帰る。

足切りは「折り返し地点30分以内」だけではありません。次の関門、30キロ地点25分以内が待ち受けています。先頭が通過してこの時間以内に通過しないランナーは、これもまた強制的に走るのをやめさせられます。違う意味で箱根駅伝2日目の「繰り上げスタート」と同じです。

他の陸上競技みたいに競技場の中だけでやるのとマラソンは違って、一般道を使って走ります。走る間は一般道は閉鎖してやりますので、早く規制を解除してやらないといけないのは交通事故の規制と同じです。

足切りにならなかったトップランナーに並走している白バイは、そのままスタート地点のゴールまでついていきます。折り返し点で足切りになったランナーに並走していた白バイは、ランナーが足切りになった瞬間にお仕事は終わりです。これらの白バイは「お役御免」のあと、どうするのでしょうか。

話は変わりますが、たとえば今はまったくなくなりましたが、私の現役時代はまだ大規模な反米デモが大阪の梅田や南の繁華街でよく行われていました。大きなデモには受け持ちの担当警察署の警察官だけでは人数的に対応できませんので、機動隊とか、周辺の警察署の若いのに応援に来てもらってデモ隊の規制にあたります。

 40年以上も前、佐世保に米軍原子力空母のエンタープライズが入港した時は大阪から長崎まで、国会で佐藤首相訪米阻止デモ真っ盛りの時は大阪から東京まで、若かった一郎さんは駆り出されて、機動隊の幌付き縦4列横座り満席トラックで往復した経験があります。

東京までは高速がありましたが、長崎までは100%地道往復です。長崎往復は途中広島で一泊でした。
長崎も東京も現地で何泊も泊まったのは、どちらも自衛隊の宿舎でしたね。もち木枠組み立て式のズック布地の、ハンモックみたいな簡易ベッドでお休みです。組み立て式簡易ベッドって言っても、進駐軍の払い下げだからものすごく大きく広かったのも覚えている。

警察署よりも、自衛隊の施設の方がキレイだった記憶もまたあり。

デモは、たとえば「A地点からB地点まで」と規制されて許可されています。デモ隊は最終のB地点までデモって来ると「あ~ぁインターナショナル(労働者革命歌)」を歌ってバラバラに解散していきます。デモ隊の横についている警察官も、この時点で仕事が終わりまして各小隊の乗ってきた窓ガラスに防護網の張ってあるマイクロバスに乗り込みまして、それぞれ自動的にそれぞれの警察署に戻ります。警備の警察官全員が集まるまで待って「解散!!」はありません。

このことを警察用語で「流れ解散」と申します。白バイのマラソン並走もこれと同じで、流れの中でも自分だけ並走の役目が終わったら、それぞれちりじりバラバラに「流れ解散」して、それぞれの所属している分駐所に一台一人で帰ります。どこかへ集合して隊列を組んで帰ることはしませんでした。

先に出てきた増田さんが倒れたのは、折り返し足切りポイントの手前だから私はお役御免ではありませんで、引き続き、マラソン併走のお仕事継続でした。

少し長くなりましたが、ここまでは「クラッチレバー操作はすべての指、ドラえもん握りでやって」という時代のお話で、いにしえの白バイのお話はおまけです。おまけが本題みたいになっちゃったけどお許しね。

●指一本だけクラッチレバーに指をかける

トライアルの世界に「常にクラッチレバーに指をかけて乗る」テクニックを持ち込んだのは、ロードレースの世界からトライアルに転向してきた現エトスデザイン社長の近藤博志さんです。モトクロスからの転向組の山本隆さんや任侠/加藤文博さんや名倉直さんは、クラッチレバーに常に指をかけては乗っていませんでした。

六甲山ハイウェイがあり、ここのコーナーを攻めて練習していたとは言いませんが、昔からロードレースの盛んなのは神戸です。この神戸の雄である木の実レーシングからトライアルに転向してきたのが近藤さん。近藤さんはロードの他、モトクロスや4輪のレースもこなしてきており、モータースポーツ何でも屋さんだったライダーです。

トライアル創世記のステアケース、登ってすぐにターンできるのは近藤さんだけでした。他、細かいテクニックがメチャクチャうまかったのも近藤さん。よぉ~く技を見てみると、アクセルとクラッチ操作でバイクをコントロールしている。もちろん、それに付随して後ろブレーキも使ってはいるだろうけど、そこまで盗み見る余裕はなし。

例えばステアケース、登ってすぐにターンする必要がある場合、登ってからクラッチレバーを握りにいきブレーキをかけターンします。このクラッチレバーを「握りにいく」時間分だけ、人指し指一本を常にレバーにかけている近藤さんは、ライバルより手前でターンができたのです。武芸者と同じく、近藤さんはなかなか自分の技を見せませんでした。たったこれだけのことを気付くのに、かなりの時間がかかったのは当然ですね。

「手の内を見せない」ということに関係ない職業、私の公務員のように、言われたこと、指示されたことを忠実にやるのみの職業の人には、自営業の「技を見せない秘密主義」の近藤さんとは最初のお付き合いは違和感がありましたが、今は近藤さんと同じ職業「人のやっていることを盗んで、それ以上のことをする」を、自分もやっているから人生分からないものです。

近藤さんの「手のうちがバレた」頃、その、クラッチをすぐに切る技をどうして身につけたか聞いてみました。お答えは「ロード経験者しか無理」のテクニックで、やっぱり民間人には無理。

トライアルと違って、近藤さんのやっていた2st 50ccや125ccのロードレースは、ライバルとの戦い以外にもうひとつ「走っている最中のエンジン焼き付き」との戦いでもあったそう。当時でも2st 50ccのロードレーサーは常に10,000回転以上でぶん回して走り、オイルの質、ピストンリングなんかの金属的な質、の問題もあったのでしょうが、けっこう簡単にレース中に焼き付きストップしたそうです。

この対策として、焼きつく寸前にエンジンが発する瞬間的な微妙な異音に素早く気づき

◎左手で瞬間クラッチを切る
→回転を落とす。

◎と同時に、右手で瞬間キャブレターのチョークを引っ張る
→オイルをたくさんやる。

をやるのは当たり前で、この「瞬間でクラッチを切る」ために、クラッチレバーに常に指一本をかけて乗るのは、当時からロードの場合常識なんだって。

でしょう? だから近藤さんはクラッチを切るのがムチャクチャ早かったのです。

モトクロッサーは今のワークスでも「ワイヤークラッチ」です。つまり、そんなにはクラッチレバーを引いたり離したりは、重要視して乗っていないということ。だから、近藤さんのようにロードから降りてきたライダーは神業クラッチテクニックを持ち、モトクロスから降りてきたライダーはこのテクニックを持っていなかったような気がする。

近藤さん以外にトライアルに転向してきたロード神戸組が何人もいましたが、全員、クラッチレバーに人差し指をかけていまして、全部の指は使っていませんでした。やっぱり皆さん、全員抜群のクラッチワークでしたよ。

●指は一本しかかけてはいけない、という思い込み

元女子部の静岡の美和と福島の綾子は、クラッチレバーは人差し指一本でしか操作できないライダーでした。どちらも、中指をたして2本指でやらそうとすると、まったく指が動きません。その動きを見てみると「もう少しやらせたら指2本でやれるようになる」レベルではとてもなかったので、指2本の指導をあきらめて指一本で続けさせました。

「なんで指一本なの?」って聞いてみると「トライアルは立って乗るもの」と同じく「トライアルは指一本じゃないとダメ」と、最初から思いこんでいたのご返事。ようはトライアルを始めた時のクラッチレバーの扱い方の「みんな指一本、私も指一本」の刷り込みなんですね。この時に正しく「全部の指を、適材適所で使う」を教えておけばこうはならなかったはず。

話が違いますが、美和は何かに寄りかかる以外、平地では立ってキックができません。普通、キックは「キックペダルに足を乗せて動かし、圧縮の一番高い位置を探し、バランスをみはからって瞬間立ち上がり全体重をかけ」バランスが崩れる前に、勢いをつけてキックを踏み下ろしますよね。この瞬間の「全体重をかけた立ち上がり」がまったくできないのです。

トライアルを始めた時からこのやり方しかキックの方法を知らないそうで、「初心者への正しい指導」の大切さを女子部で痛感した次第。

お金の持ち出しも多かったけど、得るものも多かった女子部の経験でした。

これが理由で、美和のBeta-Evoは、キックを軽くするために「圧縮を下げて」いましたが、その分もちろんパワーがないんだけど「まあ女子だからいいか」で、生涯シートにお尻をつけて座ってからでないとキックのできない美和でした。

RL250名倉スペシャルのお話から、クラッチレバー操作から番外の白バイとマラソンのお話に寄り道しましたが、来月号からまじめな本題に進んでいく予定ですが、どうせ何かでまたはなはだしく寄り道するのはお許しくださいね。