私のSUZUKIと全日本2・連載・第8回


先月号で書いたように、‘76年開催の一発勝負の全日本チャンピオン決定戦に“偶然のまぐれ”で勝ってから、次に、シリーズ戦全7戦を戦い抜いた“まともな”二度目の全日本チャンピオンになったのが‘81年だから、じつに5年の歳月がかかっている。

 一度目のチャンピオンの時に乗ったのは、スタンダードのスズキRL250Lを改良した「名倉スペシャルRL250」で、二度目のチャンピオンの時に乗ったのは、エンジンはRLと同じSUZUKI製だけど、フレームはイギリス製の「ビーミッシュSUZUKI」だった。

“ビーミッシュ”って何となくかっこいい名前なんだけど、ヤマハのTTR125Fの汎用エンジンを積んでいるフランス製“スコルパ”TYS125Fやスペイン製Gas-Gas“ランドネ”125とまったく同じで、ビーミッシュというフレーム製造会社が単純にスズキのエンジンを積んだトライアルバイクを販売したという次第。

あんまり売れていなかったスズキRL250Lのエンジンだけを使って、イギリス人のミック・ウィットロックというフレームビルダーのおじさんが、当時日本にはなじみのなかった“銀ロウ付け(ハンダ付けの親分)”で、531レイノルドチューブというパイプで組み上げたクロームメッキフレームがこれまた美術品だったのを覚えている。

“531レイノルドチューブ”ってかっこいい名前なんだけど、今考えると、なんのことはない“クロモリパイプ”の別呼称。日本ではステンレスって言いますが、ヨーロッパではINOXとかSUSとかと言うのと同じで、531レイノルドチューブとは実はクロモリパイプのことでした。

このビーミッシュSUZUKのお話は、二度目のチャンピオンの時にいたすんで少々のお待ちを。

以後、すっごく記憶があいまいですが、勘違い間違い、時代の前後入れ違いがあっても誰にも迷惑がかからないんで、当時のこと、調べもせずに思いつくまま記憶もかすかな状態でガンガン書いてみますね。

●第1期トライアル黄金時代
(西山さんと万沢さんと成田さんのこと)

私がトライアルを始めた第1期トライアル黄金時代は、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4メーカーそろい踏みの豪華絢爛・錦絵模様。4社ともにまだ「第三のモータースポーツのトライアルって何??」という試行錯誤の時代で、トライアルバイクの構造性能も分かっておらず、ましてやテクニック以前に「立って、どうやって乗るの?」の時代なの。

トライアルを日本に持ってきたのは西山俊樹さんと万沢安夫さんと成田省造さんということになっているけど、日本人で初めてSSDTに出たのは西山さんということ以外、本当のところはよく分からず。でもトライアルの普及活動を、ある程度は「私利私欲なし・損得勘定なし」でやったのは間違いないと思う。

なぜわかるのかというと“相手を見てその本心を探るのがこっちは仕事”だったもんで、西山さんと万沢さんと成田さんの活動を見ていたらそう思った次第。

●人の心をのぞく職業

今の医者は患者の話だけを聞いてパソコンで画面を見て判断、患者の体を(触診)触りもせず薬を出すと言われています。でも、すべてそうとは思いませんし、これは今風に作られた医者のイメージで実際にはそうではないでしょう。

昔の医者はという言い方はどうかと思いますが、その時代は何はともあれ「腕をまくり血圧を測って、ア~ンしてのどちんこを見られ、胸と背中をポンポンと叩かれ肺の打音テスト、聴診器当てて心臓の音確認を、最低でもしていました。

警察官も同じで、昔、同じ事をやっていた私から見ると、今の外回りの警察官は、時代背景が違うから一概には言えないだろうけど「歩いている人にいきなり話しかけて話を聞き、怪しければ交番所に引きづり込む」なんてなく、受け身の仕事、単なる「困りごと受付」のサービス業のような気がする。それと威圧感がないといかんのに、やたらペコペコしている。

ヨーロッパやアメリカの警察官は怖いですよぉ~。まあ、日本のようなシステムの由緒正しい4次試験まである採用試験を受けて1年間警察学校行ってという育成システムではなくて、たとえて言うと“7人の侍や荒野の7人”のような「その場雇いの用心棒」的な、西部劇風に言うと「町の保安官」ですね。

体が大きくて頑丈だったら誰でもなれる、のが向こうの警察官のイメージ(とは言い過ぎですが)。実際に警察官だったのが“向こうで向こうの警察官”を見るとそう思えないこともない。

トライアル普及に走る頑張るお三方を見て「相手を見てその本心を探るのがこっちは仕事」って書いたけど、外回りの警察官は「職務質問」にこの実力が発揮されます。「職務質問」はあくまでも任意で強制ではありません。でも私のいた大阪通天閣のある、新世界のど真ん中にある「新世界交番」では、任意とはいえ、少し強引な職務質問技術がないと仕事になりませんし、また成績も上がりませんよね。

大阪の新世界は、東京の山谷と同じ環境でしょう。

どこにでもあるごくふつうの街の交番所の前を歩いている人に、まず指名手配中の容疑者はいません。ですが、大阪随一の底辺の肉体労務者が集まる歓楽街の新世界交番の前を、何くわぬ顔で歩いているのの中に、必ず指名手配中なのがいるのです。

  1. 交番の前で立番をして目だけやたらキョロキョロ動かす
  2. 途切れなく歩いている人たちの中の動作挙動不審者を見つけ
  3. 怪しいと思えばすかさず話しかけ交番所に引きずり込む
  4. なだめすかし大声を出したり情にうったえたりして白状させる

というのが一般論筋書き完結編。

荒っぽく仕分けすると大阪では

  1. 寝るのは宿(どや)街の西成地区
  2. 飲んだり食事は新世界地区
  3. 女が欲しければ飛田遊廓地区

という仕分けで、この三つがすぐ近く同士で卍模様、このうちの2「飲んだり食事は新世界地区」の交番に3年いたというのが私の経歴です。

スリ担当の刑事さんの事を猛者(もさ)と言いますが、この刑事さんたちはプロのスリの顔を100人くらいは正確に頭の中に叩き込んでいる、と申します。スリはすべて現行犯逮捕が大原則なんだから、たとえ出勤中退社中、はたまた休日でも見つけると本能的に尾行して“しのぎ”をやると現行犯逮捕です。

ですんで、スリ担当の刑事さんは休日でも「警察手帳と特殊警棒と手錠」は、必ず持っています。アメリカと違って拳銃は持っていませでしたね。向こうも持っていないので、大丈夫という考えでしょう。

スリ担当の刑事さんに一番大切なことは「目立たないこと」です。まずは身長でして、例えば180センチ以上ある警察官は無理で、人混みの中で存在自体が目立ち、こっちもスリの顔を覚えているのと同じく、向こうも刑事の顔や風体を覚えているのです。捕まると刑務所行きだから、向こうの記憶率の方が上かもしれない。

スリ担当の刑事さんは「小柄な人」が多いというよりも、皆さん小さいという方が正しい。それでも逮捕時にはたまにですが取っ組み合いになりますので、小太りで押しが強く柔道や空手の強い人が多かったですね。

ただし、窃盗犯は懲役2年、強盗犯は懲役7年が平均的相場だから、荒っぽく言うと、向こうもスリの現場を押さえられてすなおに「お縄をちょうだいいたしやす」で捕まれば2年、スリとった人を人質にして巻き込み暴れて捕まると強盗に変わるので7年。というのを知っているんで、めったには取っ組み合いにはなりません。

スリ担当の刑事さんみたいに100人くらいの犯人の顔写真まではいきませんが、「新世界交番」のおまわりさんはこのへんに流れてきていると予想されるのの20人くらいの指名手配中容疑者の顔は覚えていました。で、似たようなのが交番の前を通ると、すかさず話しかけ職務質問し「ちょっと中に入りいや」と交番所に引きずり込みます。暴力団員がいんねんつけて「ちょっと組事務所にこいや」と同じようなものかもしれない。

これで当たるのが「月に一人」あれば大手柄。ほとんどだいたいはずれますが、交番に引きずり込んだののうち20%くらいは指名手配でなくて「家出捜索人」が多かった。

たとえば50歳くらいの肉体労務者で結果「青森県下北半島の出身で家族があるのに20年くらい前に家出してそのまま音信不通」というのが、本人の自供で分かります。交番からその人が言うその人の家に電話をして「大阪の新世界にいます」と電話すると、奥さんが出て「本人はなんと言っています?」と聞きますので「帰りたくない」と言っているというと、奥さんは「生きているのが分かったからそれでいい。そのまま自由にさせてください」との結末がほとんど。

こんな人生の縮図を20代前半の若き青年(警察官)が見るわけでしょう?そりゃあんた、若き警察官は人生を悟りきったようなのが多いのは分かる気がするし、警察官のお仕事は大変なんですよ。の、ような仕事をしている目から見ると、西山さんと万沢さんと成田さんの活動を見て「私利私欲なし・損得勘定なし」でやっているって思った次第。

蛇足ですが、世の中には“やっている仕事がなくなるのが一番の目標”というお仕事がありまして、まさに警察や消防や自衛隊ですよ。また“被害者のいない犯罪”というのもあって、これは世のお父さんの大好きな“風俗”の取り締まりですね。 「被害者のいない犯罪を取り締まる」風俗の取り締まりはとても立証するのが難しくて、これのお話もまた出てきますのでお楽しみに~。

●国産4メーカーそろい踏みの時代があったの

話を戻します。政治的な話に踏み込みたくないけど、ロードとモトクロスとあって、これにトライアルが入ってきて普及させれば「メーカーはバイクが売れて儲かる、協会は競技人口が増えて儲かる」「トライアルはイギリス発祥で紳士のスポーツだから、モータースポーツのイメージアップ」と、まぁそんなに単純なものではないだろうけど、とにかく4メーカーともに当時こぞってトライアルにとびついた次第。

各社ともに本場イギリスのトップライダーと契約してバイク作りを始めたわけなんだけど、このライダー選びがもろにエンジンの性能はもちろん、バイクのすべてに「その人好み」に仕上がったのは事実。この時点から「日本人向けの性能か、ではない性能か」に分かれていたような気がするし、そして一番大切な「売れるか売れないか」の分かれ道だった。人生結婚と同じく「出会った人の良し悪し」がすべてなのと、まったく同じかもしれない。

で、この人、つまり契約ライダーだけがアドバイスしたとは言えないだろうけど、当時の宣伝広告によるとホンダはサミー・ミラー、ヤマハはミック・アンドリュース、スズキはゴードン・ファーレー、カワサキはドン・スミスというオールイギリス人。でもまあ、まだトライアルと言えばイギリスの時代だっから仕方ないかもしれない時代背景。

結果結論を先に書いてしまえば、ヤマハが選んだミック・アンドリュースが日本人の国民性に大当たりで、バイク作りも大当たり、その教え子の木村さんもミックとの相性が大当たりだった結論。だから、当時はヤマハが爆発的に売れたのだと思う。もうひとつ、素人目から見てヤマハが売れた理由は、唯一アンダーガードがついていたということ。

今のトライアルバイクで取り外し式のアンダーガードは、付いていてごく普通、当たり前ですよね。でも当時はヤマハ以外、3社ともにアルミ製のアンダーガードなんてなく、下回りの鉄フレームがエンジンの下を回りアンダーガードを兼ねていたのです。そもそも当時のトライアルにステアケースなんてやらないから、アンダーガードの発想がなかったのかもしれない。

今考えるとアンダーガードなしのバカみたいな設計だけど、当時のイギリスのトライアル事情、泥沼と斜面を考えるとこのフレームでOKで、ミックは時代を先取りしたアンダーガードを考案していたのがすごいよね。でも案外、ヤマハの設計の人が考案していたのかもしれない、これは分からずです。

以後、話はずっとすっ飛びますが、ヨーロッパ各国で小所帯のバイクメーカーが乱立し「メルリン、メカテクノ、アームストロング、JCM、JTG、TRS、スコルパ、ヴェルティゴ等々」雨後のタケノコみたいになりますが、生き残ったメーカーはほんの一握りどころかないに等しい。それはすべて「テスト開発ライダーの良し悪し」にかかっていたの結果論で、素人にも機械性能は乗ったら丸分かりだから営業の人がいくら関西風に「え~で、え~で、こうて」と言っても無力ですね。

●ヤマハ以外のバイクのこと

さてこっちは、白バイ全国大会訓練講師に「スズキの人が来たからスズキのバイクに乗った」の単純明快ないきさつなんだけど、スズキのゴードン・ファーレーは190センチ近いスリムで背の高いライダーで、作ったバイクも大柄でした。これはずっと後に出たイタリア製ファンティックも大柄で、テストをしたのがテリー・ミショーで185センチクラス。そして一番の問題は「奴らは身長の割には手足が長い」です。

こんなのが作ったトライアルバイクが良い悪いではなくて、背の低い民族、手足の短い国民が多い日本では、またがってもシートから足が地面につま先立たないと届かないんで、日本人には乗りこなせない。

乗りこなせない、つまり、トライアルは「足をついてバイクを押す」部分もあるスポーツで、足をついてバイクを押すには、まずは足が余裕を持って地面に届くのが大前提なんだけど、これがスズキのはきびしかったんだよね。 トライアルを始め4社バイクそろい踏みの頃、関西の生駒山に練習に行っても、私の乗るスズキRL250が一番ガタイが大きかったし車高も高かった。今考えるとそうなんだけど、当時は「トライアルバイクはこんなもの」という考えしかなくて、そんなだから別に不平不満もなかったの。

カワサキはドン・スミスというのがテスト開発をしたんだけど、この人はそんなに大柄ではなくて日本人向けの大きさのバイクを設計。でもこのドン・スミスはエンデューロも達人で、トライアルとエンデューロの両刀使い。

日本では今も昔もエンデューロはそんなにメジャーなモータースポーツではないけどヨーロッパではすごくメジャーで、やっていることは「トライアルとモトクロスの中間」みたいな競技。つまり「ライダーもバイク」もモトクロスとトライアルの両方の技と性能をも持ち合わせていないといけない競技ですね。

このマシン、日本の純粋な箱庭トライアルをやるには、バイク性能が“直進性が強い”うえに、ピックアップがよすぎて“カッ飛び”、半分はトライアル性能、半分はエンデューロ性能の半魚人バイク。日本人メインライダーの男・加藤文博さんもカワサキが数年でトライアルから撤退したら、あっさりヤマハに移籍したいきさつ。

関東の方は知らないけど、関西では当初、均等にホンダ、ヤマハ、スズキと皆さん乗っていて、カワサキはモトクロスから転向してきた山本隆さんと加藤文博さんしか乗っていなかった。なんでカワサキかというと、モトクロス時代にカワサキに乗っていたから、という単純な理由です。 (以下、次号に続く)