私のSUZUKIと全日本3・連載・第9回


●SUZUKIに皆さん乗らなくなった理由

第1期トライアル黄金時代は日本の国産4社そろい踏みでトライアルバイクを作っていた。でもね、カワサキが最初にトライアルから撤退したののお話が先月号まで。

SUZUKIも同じく、追随していずれ撤退するんだけど、それ以前にスズキに乗っていた皆さんは「ヤマハの方がいい」と乗り換える人が続出し、極端に言うとスズキに乗っている関西人は個人だと私と、スズキのディラーに勤めている人だけの状態に突入。理由は皆さん「ガタイが大きすぎる」のと、やっぱりカワサキと同じく「元気がよすぎる」ですね。

それともうひとつの理由。当時のプラグへの点火システムはまだ「ポイント点火方式」が主流で、スズキだけは進んでいて最初から「CDI点火方式」だった。口コミ風評で「ポイント点火は低速時に強い火花を飛ばす→トライアル向き」と、科学的根拠のない噂が流れたのも原因かもしれない。

うちの二郎メカは、もちろん「ポイント点火ってなにぃ??」の新人類で、知らない人は“ポイント点火”をお勉強して下さいね。新人類は旧人類が知っているふつうのことをあんがい知らない。

関係ないけど、たとえば二郎メカのお嫁さんの“昭和最後の生まれ”のマミさんは、どっぽん便所を知らないんだって。一度、兵庫県加古川の焼肉大魔王こと松井さんのお店「オートスポーツ加古川」に行ってトイレを借りてごらん。純和風の筋金入り汲み取り式便所が体験できますよ。

オーナーの松井さんが振りまく防臭液の量たるやすさまじく、はい、目がシバシバチカチカするレベルではなくて、涙が出てくるレベルです。松井さんちのトイレを使う時は、すっきり目的の目薬は必携品ですね。

ついでにマミさん、ドリフターズを知らないんだって。加藤茶とか志村けんとかが個人で活躍するのは知っているけど、団体のドリフは知らないそう。私達団塊の世代は植木等のクレージーキャッツ世代ですが、健一の世代はクレージーキャッツを知りませんで、ドリフターズ一本、これと同じですね。時代の流れは早い、これにつきる。

スズキも秘密裏にCDI点火のRL250を「そっちの方がいいのかなぁ」とポイント点火に変更してテストをしたけど、計測機器のデータや名倉さんの体感テストで「何にも変わらんし、CDIの方に利がある」となってそのままCDI方式継続。これも、スズキの販売台数が少なくなったのの原因かもしれない。

でいうと、ちなみに日本で一番最初にトライアルバイクと命名して売りに出した「HONDA TL/バイアルス125」もポイント点火で、2年後に早くもCDI点火方式に変更になっています。ですので、スズキはメカニカル(CDI)なことは最初から進んでいて「トライアルはポイント点火がいい」は結果論でいうとまちがいのようでした。のように、まちがったことでも正しいとなる口コミ風評というのは本当に怖いでしょう?

●言い方ちがいのお話

日本でトライアルバイクと命名して売りに出した「HONDA.TL/バイアルス125」ですが、このバイアルスとは「バイク+トライアルス」を略してバイアルスで、ホンダのつくった造語の和製英語ですね。“イーハートーヴ”も宮沢賢二が作った和製英語風日本語ですよ。

関東で老舗の成田省造さんのお店の名前は「トライアルス成田」で、トライアル成田にはしておらず、さすがにトライアルの創世記の歴史がわかって名前の最後に「ス」をきちんとつけている。

日本では「トライアル」と言いますが、本場イギリスでは同じく「トライアル」、スペインやイタリアのヨーロッパ大陸では「トリアル」と言います。そのつづりは「TRIAL」で、そのままローマ字的に読めばトリアルになるのに、なんでイギリスだけがトライアルなのか分からない。たぶん英語園だからでしょうね。

スペイン語を習った時に、最初に教えてもらったのは「発音はローマ字読みで通じます」ですので、その通り「TRIAL(トリアル)」ですよ。

私が35歳の時に初めてあこがれのヨーロッパの地を踏んだのがスイスのチューリッヒです。ですがこっちに来て誰もチューリッヒなんて言わずに「ズーリッチ」と言いまして、そのつづりは「ZURICH」でそのまま読めばズーリッチなんだけど、なんで日本ではチューリッヒなのか分からない。

私が世界に殴り込みをかけた当時はスウェーデン大会とフィンランド大会があって、大陸側のデンマークからスウェーデンにフェリーで渡るのに「スウェーデンのイエテボリ」へ渡るのが一番早いと、日本語のヨーロッパ案内本に書いてある。はい、このイエテボリという言い方は日本語で、現地の本当の呼び方は「ガッテンブルグ/GOTEBORG」で、なんでGOTEBORGのつづりでイエテボリになるのか分からない。

こんな事言い始めると他たくさんあって、黒山選手がヨーロッパで頑張っている時にあるイベント屋さんから「グリースとクバでインドアの大会やるから出ないか」のお誘いあり。

グリースとクバなんていう国、聞いたこともないんで「どこなん??」とヨーロッパの地図を見せて聞いてみると、グリースはギリシャのことで、つづりはその通りに「GREECE」となっているし、クバはキューバの事で、つづりはその通りに「CUBA」となっている。

結局、このギリシャとキューバでのインドア大会のお誘いは政治的な問題でお流れになってしまったけど、いいお勉強になりました。

スペイン人はアメリカの事をウサ、ウサと申します。スペイン語は日本でいうローマ字読みをしたらまちがいないんだけど、アメリカの事は日本では“USA”ですよね。はい、USAをローマ字読みしてみますと、その通りウサです。

ヨーロッパにイギリスという国は存在せずに「グレートブリテンと北アイルランド連合王国」でして、なのに国別記号は「GB」です。オランダという国も存在せずに「ネーデルランド」で国別記号は「NL」で、今やトライアルの聖地のスペインという国もヨーロッパでは存在せずに「エスパニア」で国別記号は「E」ですね。

日本で習う英語が現地でまったく使えないのと同じく、他、生活のことも何でもかんでも「現地に行ってみないと」分からないものは多いのですよ。何事も経験と場数を踏んだものが一番強い、これは真理です。

明日のことは「Tomorrow(ツモロー)」ですよね。明後日のことは「The day after tomorrow」って言うそうですが、私ら“通じればいい”英語達人は「2・ツモロー」ですよ。3日後は「3・ツモロー」で十分通じます。

その昔、現地パドックで黒山選手のBetaワークスバイクに触ってほしくない時は「ルックOK、タッチNO」で英語力100点で、今までこれを言って触ってきたのは誰もいません。

それと中国の人とは「漢字で筆談」が可能です。中国漢字は日本にない漢字がたくさんありますが、そんなの関係なしに漢字を書きまくると、これも100%相手は何を言っているのか分かります。たとえば「メシ行こうぜ」は「私望食、即行飯店」でOKですよ。

でもまあ“通じればいい外国語”の場合、こっちの言うことは向こうは理解できても、向こうの言うことは、こっちはさっぱり理解できないことの方が多いですね。要は場数を踏むことです。

まぁとにもかくにも190センチある人が作ったバイクに、160センチそこらのが乗ること自体に無理があり、メインライダーの名倉さんも170センチくらいだったし「言わずもがな」で、スズキも性能うんぬん以前にバイクが大柄すぎて売れないのは分かっていたみたい。

「黒山くん、君の乗っているスタンダードのRLを本社で改良してやるから、バイク持っておいで」と名倉さんから電話をもらったのが、SUZUKIに乗り始めて約1年半後。

白バイの修理は指定業社の町工場に持っていきますので、自動車屋さんバイク屋さんの形態、工場風景はだいたい分かっています。さて初めての初体験、本物のスズキレーサー整備室での奮闘模様はいかがなるものだったのか。ずばり「ワークスのレーサー整備室ってどんなとこ~?」ですよ。

●名倉スペシャルRL250
 ワークスレーサー整備室のこと

のようないきさつで、スズキのワークスは大柄なスタンダードのRL250のフレームをぶった切って、当時でいう「バッタマシン」ほどではないですが、ワンメイクでメーカーライダー用の小ぶりなバイクに作り直します。これがいわゆる当時呼ばれていた「名倉スペシャルRL250」ですね。

もちアンダーガードも今では当たり前の、取り外し式の凹んでも修正可能なアルミのカバーに変更で、私にとってはこれが画期的だった。

名倉さんからの「黒山くん、君の乗っているスタンダードのRLを本社で改良してやるから、バイク持っておいで」の電話をは、早戸川でRL250スタンダードを借りて帰った1年半後のこと。

1年以上、まったくスタンダードのRLに乗っていたんで、一発勝負の全日本がこの間に一回あったはず。なんだけど、どこであってどうなったかはまったく記憶になし。初めて出た全日本早戸川から3年目に最初のチャンピオンになっている。ということはこれまでに1回は“どスタンダードのRL250”でどこかの全日本に出ているはず。

42年前のことは、今すでに認知症の入り口かもしれないけど思い出せない。乗ることは完全消去されていても、以下の通り、いじることはなぜか当時のことは鮮明に覚えている。これはやっぱり自分にとって強烈なことだったんだろうね。それが強烈かどうかは、本人自身の“好きか興味がある”かがすべてです。

まず名倉さん用のRL250のフレームをテスト的に改良してみてOKだったので、次に私のを改造する段取りとなるのはしごく当然のなりゆき。

私のスタンダードRLを、スズキ本社工場で3日間かけて、シート高の低いアンダーガードあり小ぶりなスペシャルに改良したわけなんだけど「自分のを改良するんだったら自分もお手伝いしていいか」の申し出にすんなりOKが出たのは、日頃、名倉さんから「自分のバイクは自分でいじれなきゃだめ」と言われているのと、私がバイク関係の仕事をしているわけでなくて、秘密がばれてもどうでもいい公務員(警察官)だったからかもしれない。

この3日間のスズキ本社「ワークスレーシングサービス」、ヤマハの言い方で「レーサー整備室」、ベルギーホンダの言い方で「メカニカルルーム」、BetaMotorの言い方で「メンテナンスルーム」にこもったのが、ちがう意味で私の人生・職業を大きく変えた出来事でした。

トライアルを初めて知ってのめり込んだスカの時は「警察やめてトライアルのプロになりたい」なんて一時期思ったけど、上手になって乗り手ライダーとしてトップで頑張っている時分は「警察をやめてプロライダーになろう」と思ったことなんてなし。だって、白バイ全国大会選手の指導員をしていたんで、トライアルの指導をするふりをしてとは言わないけど、指導しながら自分にも指導して練習時間が十分にとれたから。

警察を辞めたのはトライアルのプロになりたいからではなくて、辞めないと世界選手権にフルエントリーできないしSSDTにも出場できないからだけ。辞める時に、プロライダーでやっていけなくなったらどうする、なんて考えているわけないよね。

でも、レース関係者以外は入れないスズキのワークスルームに3日間こもってバイク改良のお手伝いをさせてもらった時「警察やめたあと、このメカの仕事で食っていこう」と心から思った次第。それほどに感激しおもしろかった本物のレーサー整備室の経験。まあ本人も、機械いじりが好きだったのがあると思う。

小さな頃から、男の子だったら誰でものありきたりの「工作少年」だったのですが、別に工作がうまかったわけでもなく、壊れた振り子式掛け時計をバラバラにするとか、電池も何もなくて聞こえる鉱石ラジオを作って喜んでいたとかだけど、でも自転車のパンク修理はやれなかったし、プラモデルも作った事があったなぁ、のそのレベル。

小さな頃から歌のうまい天才少女とか、天才将棋少年とか「人より抜きん出ていた子ども」がいますが、まあこんなのは別の世界の話で、なんにでも興味を持つどこにでもいるふつうの子供ですよね、一郎さんは。

だから、別に特別機械に強いではなくて、そのひとつ下の“どこにでもいる機械に興味のある少年”の分類です。

再度、同じことを書きますが「興味のあることに関して、最初に見た経験した頂点のものが、以後のすべてを決める」ですよ。だから、お金を出してでも“最初から最高のものを見ろ”は正しい。

トライアルをやろうとしたのは“初めて見た”トップライダーに3年やったら勝てると思ったし、モトクロスを断念したのは“初めて見た”クレージー増田耕二さんの走りを見てビビリあがったのが原因。

狂ったようにやっていた柔道をやめたのも、ガタイのそうは変わらないオリンピック級の人と出会い「この人には生涯勝てない」と思ったのが原因。まあ、根性なしと言われそうですが「勝てそうな人としか喧嘩しない」もある意味真理ですね。

料理人目指して初めて経験するのが「ガード下の薄汚れたラーメン屋」か、一流ホテルの中にある老舗の「中華料理/四川飯店」「日本食/なだまん&吉兆」かで、以後の展開は大ちがい。

バイクの整備修理もこれと同じで、初めて働いたのが「裸電球/油まみれの土間で工具類の散らかった、うんこ座りでバイクをいじるバイク屋さん」か、メーカのまさにきれいに整った手術室みたいな「レーサー整備室」かでは大ちがい。

最初の出だしは「スズキのレーサー整備室」なんだけど、以後、「ベルギーホンダレーサー整備室」→「モンテッサホンダレーサー整備室」→「ベーターモーターレーサー整備室」の各メーカーの“秘密のかたまり心臓部”の部屋を渡り歩いたの。“渡り歩いた”って言っても、BetaMotorはレーサー整備室で10年間働いて、本当に就職したようなものだけど、他のメーカーは単に覗いたレベル。

バイクメーカーではないですが「モンティ自転車レーサー整備室」や、イタリアにある「「デロルトキャブレター開発室」にもこっそり入って見学したり、サスペンションメーカーなら「イタリア/パイオリ」「スペイン/オーレやボーゲ」でお勉強。

特にスペインのリアクッションメーカーのオーレ社なんか、社長のペドロ・オーレさんは私が小3の健一を連れて世界選手権をやっていた時に、いっしょに走っていたとは言わないけど、同時期のライダーで知り合いだから自由に工場へ入れたの。

技術を盗むどころか、メカにまったく強くなさそうな、薄汚れた子連れ東洋人だから入れてくれたのかどうかは分かりませんが、このようにヨーロッパの各メーカーは心臓部のレーサー整備室に当時はけっこう簡単に入れてくれました。

はい、正直に申し上げます。私の長男がヤマハ発動機(株)の契約ライダーになって12年目ですが、私はヤマハ発動機(株)の秘密の塊レーサー整備室に「入ったことも、入れてもらったこと」もありません。

ですが、次男の二郎メカは入れてもらうどころか、あ~やこうや教えてもらって「ワークスバイクを持って帰って何かあった時はこう対処せよ」のお勉強をさせてもらってる。

今書いているところのスズキのレーサー整備室のお話も40年以上前のお話で、今だと同じ条件でも、今は絶対にどっこも入れてもらえないと思う。時代がちがう、の一言ですかね。

 教訓「やれるときにやっておこう」を心に刻んでおきましょう。

*SUZUKIレーサー整備室のお話は、次号に続く~♪