私のSUZUKIと早戸川 連載・第4回


●大会前日の車検下見は記憶なし

「興奮したことはあんまり記憶に残らず、しょうもないことはよく覚えている」の典型で、大会前日に「受けた見たはずの車検と下見」の記憶が、どっかへ吹っ飛んでそんなに記憶がないの。

かすかに覚えているのは、水の流れも浅瀬で快適な本流早戸川をウネウネ曲がりながら沢を何回も渡り横切り上流へ行き、堰堤(えんてい)、つまりミニダムがあってそこ以上上流には行けず、そこいらに作ってある何セクションか下見して下ってき、今度はその支流に何セクションかが作ってあって、全部で何セクションか忘れたけど2ラップだったのは記憶あり。

ただ一つだけよく覚えているのは、ミック.アンドリュースがYAMAHA/TY-80でクリーンしたといううわさの通称“悪魔の階段(デビルス.ステアケース)”に最終セクションが作ってあって、4つほど続く登りのS字の最後にある膝ほどの高さの段差が「難しいなぁ~」と、思ったのを覚えている。

この早戸川にある“悪魔の階段(デビルス.ステアケース)”は雑誌の中だけの世界だったけど、実際に見ると関西にはないS字の登り地形。
関西のは一つだけのS字だけど、ここのは三つのS字が連続して続いていて、とどのつまりの最後に膝くらいの段差があるの。
いわゆる「つづら折れのけもの道」で、高低差は20メートルくらいだったような気がする。

話は前後しますが、当時の私の練習セクション設定は、大会に出た未知の経験ないセクションを、大会後に帰ってから自分の練習場で探すか作って練習していました。
関西に帰ったら、どこかにこんな「つづら折れのけもの道」を探して練習せんといかんなあ、と思ったのも覚えてる。

この早戸川大会はなかったけど、当時は“サザンプトンのマディ”と言いまして「ドロドロの湿地帯をただ走るだけ」のセクションもありまして、わざと泥沼に飛び込んで練習した記憶あり。
こうなるとモトクロスタイプのタイヤが泥ハケがいいんで、当時はタイヤの規格もあいまいだったから、トライアルタイヤのキャラメルブロックをひとつ飛びでカッターで切り落としてみたりした記憶もまたあり。

大会前の泊も、その前の日の金曜に泊まった和風旅館でお泊まり。またまたただ一人、SUZUKI経費持ちで日本酒とビールを飲んでバタンキュー。
「黒山さん、大会前の日はドキドキして眠れないことはないですか」とよく聞かれるけど、結局、毎夜酔いつぶれて寝ているからそんなん経験なし。

当時は薬局で簡単に睡眠薬が手に入り、近藤博志さんや三谷正次さんは睡眠薬を飲んで寝ているなんて聞いていた。何年か後の話なんだけど、全日本北陸富山大会の大会中に、近藤さんが「黒さん、薬が今頃効いて眠くてしゃーないんや」と話かけてきたから、本当だったんですね。

●前日の夜に上流で降った雨で大増水

大会前の土曜の夕方は、泊まった近くの宿周辺は雨も降らずに快適快晴な夜だった記憶あり。
日曜の朝に会場へ行くと、昨日まではせせらぎ流れる小川と渓流が、すべて怒涛の濁流に早変わり。関西ではあんまりそんな話は聞かないけど「そこの河原は雨はふっていないけど、川の上流で雨が降ってしもは大増水大激流」は、関東の渓谷の川はごく普通だそう。

私の全日本デビュー戦/第2回全日本選手権早戸川大会は、日頃は温厚で物静かな河原でバーベキュの出来る風光明媚な渓谷なんだけど、これが前夜に上流で降った大雨で大増水。ライダーはいたる所の激流との戦いでもあった大会。
そう、あこがれの初体験早戸川大会は、この「上流で大雨降って、会場の下流は大濁流」に見舞われ、結果、「主催者が途中発表した持ち時間延長を、知っていた人と知らなかった人が入り乱れた大もめの大会」と、あいなったのです。

確認です、前日も当日も大会中も、現地はまったく雨は降っていません。ですので、会場もテント群も大会主催者もずぶ濡れ、ではありません。

私を含めて箱庭トライアルしか知らない多くの参加ライダーは、上流から下流まで長い移動距離の各場所に作ってあるセクションまでの移動に、必ず増水した支流というほどではないけど激流の小川を渡らないといけなかったの。
セクションよりも、この激流の小川渡りに相当の時間をとられたのだけど、必死こいた理由は簡単で、沢の渡り方を皆さん知らないから。

それはそうで、シートのすぐ下まで水のくる水たまりに入ることの経験もなければ、ましてやそれが足元の見えないゴロゴロ小石の沢の中でしょう。こんなん、練習でありえるはずがなし。

今のトライアルをやるに「渓谷の練習場」ってあるのかしら。何回か全日本をやった九州熊本大会は「八谷渓谷」ってなっているけど、V字の谷というか山の下の沢の山小屋ロッジのあるキャンプ場ロケーションで、けして川ではなくてその名の通り「沢」というのが正しい。

ヨーロッパの人が申しますには「日本の川はまるで滝だ」が、見事に言い当てていて、ヨーロッパの川はまるで湖のごとく静かですね。
ドイツのライン川もオーストリアのドナウ川もフランスのリヨン川も、見た目、まったく流れていません。
だからあんた、日本みたいに渓流にいるピチピチした生きのいい魚なんていなくて、ナマズみたいなのしかいませんね。
なんで、魚の食文化は発展せずに肉食文化になったのかもしれない。

●いきなりの第1セクションは大混み

早戸川大会、中洲の広い河原のど真ん中にテントを何幕も張って大会本部にしていた。今は国際B級が先にスタートして最後に国際スーパーA級がスタートですが、でもこの大会、うまいエキスパートクラスが先にスタートで、うちらスカはそのあとスタート。

スタートして第一セクションへは本流河原の上流の方に行くんだけど、まずは最初の難関は「昨日はなんでもなかったチョロチョロ小川」が、もう激流に大変身。この激流を渡らない事には第一セクションへは行けません。
向こう岸を見たら、渡りきったけど何台ものバイクが水を吸ったらしく、バイクを真っ逆さまにしているのや、キャブレターとエアクリーナーを外して水抜き必死こき状態が5台以上。

冷静に見てみると、横渡りや上流に向かって横切るのでなくて、上から下へ斜めに流れに逆らわずに渡ればなんとか渡れそうなので、そうやると簡単に渡れた。ようはライン取りですよ、エヘン!。
私が受けた初めての部外講師、SUZUKI講師陣/伊藤光夫さんや名倉直さんに教えてもらった「ライン取りがすべて」が、その通りすべてでした。

それと、SUZUKI/RL250は車高が高くて、エアクリーナー入り口も高い位置にあるのもよかったみたい。
だって、テストして作った人がエゲレス人190センチ近いゴードン.ファーレーでしょう。ちまたでいう、バッタマシンなんて発想外。

こっちは163センチで、警察採用体格試験ギリギリ合格(男は162センチで女は158センチ)の身長のうえ、団塊の世代独特の胴長短足でしょう。
でも、トライアルって足をつかなきゃいいスポーツなんで、足の長さなんて関係ない、と思っていたから幸せ能天気ですね。

第一セクションに着いてみると、もう混んでいるレベルではなくて50人以上が順番に並んでイン待ち状態で、当時は採点カードをオブザーバーに渡して順番を待つシステム。
並ぶ、のではなくて、呼ばれたら走る、という表現が正しい。

オブザーバーに採点カードを渡すと、オブザーバーは100万円の札束の倍、200万円くらいの厚さの採点カードを持っていて、こっちのカードを一番下に入れよる。
「あっ、これは1時間以上かかかる」と本能的に思い、ゆっくり余裕の下見。

たとえいくら混んでいても、オブザーバーが何人もいて「回転を早く」すればいいの。だけど、いくら並んでいても前へはちっとも進まず。
この第一セクションの時間がかかった理由は簡単で「途中で止まったら、出て行くのに最後まで走りきらないと出られない構造の横逃げなしなので、クリーンであろうが5点であろうが、全員がセクションをインからアウトまで走る必要がある」ため。
途中で止まって、そこから横へは物理的に逃げられない地形なの。

あげくに当時のトライアルは、イギリスSSDTの考え方「何があっても人の手を借りずに自分一人でやり抜く」のが男道トライアルだから、岩の間にはまり込んだバイクを一人で引き抜くのに時間がかかっていた。オブザーバーは見ているだけで、手伝っていない。

今の大会の第一セクションは「体慣らし」的に、割と簡単なのを作ります。だけど、こん時の混んだ理由んもうひとつに、この第一セクションは手強かった記憶あり。
ほんとんどのライダーが一番奥のややこしいところで「岩の間にはまり込んで5点、引っこ抜こうとのたうち回っていた」のも、また記憶あり。
私が着いた時には、まだ上のクラスのエキスパートライダーが走ってた。

●神童/木村治男は3セクションまで連続5点

第一を走るまで待ち時間1時間以上かかりそうだし、下見をしたってラインは一本で「ねっちょり下見」なんてまったく必要なし。
ラインを見た瞬間、クリーンなんて狙えずバタバタの3点しかないし、ラインは一本道。しつこく見てもいっしょだから、1回見たら、ハイそれで終わり。

こうなると、次のセクションに行っている「近藤.加藤.木村.万沢.西山.成田」各トップの、走り方の見取り稽古に行くのは今回の大会「自分の成績よりも、見たことのないトップの走りを見るのが目的」なんで、当然ですよね。
今の私のヤマハの上司の一人のYSP大月信和さんも出ていたはずなんだけど、まったく記憶なし。

今、YSP京葉オーナーの70歳を超えている大月さんの、現役当時の若きライディングスタイルを知っている人は何人いるでしょうか。
ロードもモトクロスも国際A級で、スノーモービルは初代全日本チャンピオンの大月さん、そのライディングスタイルは、この早戸川では見なかったけど、以後の全日本で毎回見て研究、関西風に言うと「せせこましいセコセコした走り」だった記憶あり。

それと、判定を下したオブザーバーに、不本意な判定だったら大声で抗議をしていた記憶が多い。
このことは今考えると理解できて、大月さんを含めて各メーカーのワークスライダーは言わば「今やっているトライアル競技を日本に持ってきた人達」だから、当時のオブザーバーはトライアルのルールのことをあまり理解していないから「都度、教えていっている」だと考えると理解できますね。

近藤.加藤は関西でいつも見ているし、SSDT帰り御三方の万沢.西山.成田はそうはうまいとは思わなかったんで、関西では見たことのない「股の間でマシンを遊ばせる」ライディングの木村を追いかける。

どっこい木村、出だしの3つのセクション、すべて岩の間にバイクがはまり込んだり落ちたりで3連チャン5点。誰が考えても今日の勝ち目はなし。
柔道長いことやっていて「負けて着替え室に戻ってきたら火が付くくらいにくやしがれ」の教育を受けている身としては、相当にくやしがるかな、って思って見ていたら能面無表情仮面舞踏会高倉健。

スポーツで「失敗してもくやしがらない、表情を変えない」のを、初めて知ったのもこの早戸川でした。

日本柔道は伝統的に「勝ってもそこでは喜びません」が、同じ格闘技の外国レスリングは「勝ったらそこで大喜び」します。
サッカーやバレーボールも、勝ってもいない途中経過で「単に点を入れただけ」で、まるで勝ったようにその都度ハタッチして大喜びしています。特にサッカーは「1点入れただけで気が狂ったように走り回り抱き合い喜ぶ」と、ひどいですね。

大相撲は「勝っても土俵で喜んではいけない」不文律があって、横綱/朝青龍が勝って右手を挙げただけで厳重注意を受けるほどです。
これは日本のスポーツとヨーロッパのスポーツの違いだと思うけど、日本人の文化風習にはやっぱり男/健さん能面無表情感情を表に出さないが好感をえると思う。

表情を変えない日本のやり方を、初めて大リーグに持ち込んだのは野茂英雄です。
ホームランを打たれても悔しがらないし無表情、打ち取ったと思った誰でも取れる凡フライやゴロを味方がエラーをしても怒らないし無表情、2アウトで外野フライをバッターが打ち上げたら、凡フライ気味だったら後ろを振り向かず味方が取るのを確認せずマウンドを降りスタスタとダックアウトに引き上げる、のも野茂流のやり方。
まさに日本的に言うと「男だねぇ~」ですよ。

昔も今も、お仕事の世界でもスポーツの世界でも「日本人は自己表現をしないので、おいていかれる」と申しますが、もともと人種が違う国の人の真似をしてもダメ。あんたねぇ、ラテン系のスペイン人やイタリア人と言い争いして、いくら言葉が達者でも日本人が勝てると思ってんの。

トライアルという狭い範囲世界の中だけど、ヨーロッパの人とアメリカの人は、日本的に言う「無口無表情/男だねぇ~」の日本人の行動を、「カミカゼ」と言ってすごく怖がります。
ビジネスの世界は知らないけどスポーツの世界、当然怒るべきところで怒らず無表情の、「男だねぇ~」は相手を精神的に萎縮させ怖がらせる武器になるのです。

高校生だった木村治男、当時からこれをやる本能というかもって生まれたものを持っているのはすごいね。
もち、本人はそれをやっている気はないだろうし、自然とにじみ出てくるものでないと、簡単に相手に見破られてしまいますよ。

次も続けて書けるかな~。

こちらは黒山一郎さんの次男、二郎さんの奥さん、まみさんの描いたイラスト。一朗さんの孫、りくとくん、じんくん、たおくん。黒山一家の楽しく熱く、そして厳しいトライアル環境の中を元気に育っています。