私のSUZUKIと早戸川


黒山巡査、交番所勤務からいざ交機隊へ

今から約45年前、ロード.モトクロスに続く第3のモータースポーツとして、トライアルが日本に入ってきたの。
入ってきたいきさつ政治的なことはさておき、HONDAはTLで成田省造さん.万沢康夫さん.西山俊樹さん、YAMAHAはTYで木村治夫さん、SUZUKIはRLで名倉直さん、KawasakiはKTで加藤文博さんというように、日本の4メーカーが各ワークスライダー面々をそろえての大バトル。

記憶では、HONDAはサミー.ミラー、YAMAHAはミック.アンドリュース.SUZUKIはゴードン.ファーレー、Kawasakiはドン.スミスをそれぞれイギリスから招き、バイクの開発とライディングテクニック指導をしました。

この4メーカーのバトルのいきさつはまた別の機会に~♪

で、何故、不祥私めが一番最初にSUZUKIに乗ったのか??
そして、なぜ現職白バイ警察官が「ワークスマシンに乗って」2回も、全日本チャンピオンになれたのか??
そしてそして、そんなん厳格な公務員がプロのまねごとしてエエの~なのだ。
さて・・・・話は43年前に戻りましょうね。

白バイ全国大会訓練の中の一つの種目として、日本に入ってきたばかりのトライアルが採用され、新訓練隊員全員がトライアルを強制的にやらされます。
白バイ大会、すなわちこれはHONDAのイメージなんだけど、これも当時発売されたばかりの「HONDA.TL125を売りたい」という政治的な部分があるだろうし、実際、白バイ大会のトライアルはこのTL125でやるからそうでしょうウンヌンあるだろうけど、ここではその話、政治的な話はパス。

高卒で福岡から出てきて、大阪は通天閣のある浪速警察署の“ジャンジャン横丁交番所のおまわりさん”から、本部交通機動隊へ転勤になり、はれて白バイ隊員になりました。これが24歳の時。

福岡出身で大阪府警を受験したのは、単に高校部活でやっていた柔道を続けたかったからだけ。なぜ大阪府警なのかは、当時、大阪府警が日本で一番柔道の強い会社だったから。福岡県警が柔道が強かったら、当然、福岡県警でしょう。
別に社会正義の実現、月光仮面になりたかった訳ではないの。

当時の柔道は体重別なんてなく、超軽量チビの私なんか警察署対抗試合のレギュラーが精一杯。
本望ではない交番所勤務でもんもんとしていたところに「白バイ隊員希望者は試験を受けろ」の情報を得て、白バイはかっこいい、という単純な動機で試験を受けたらあっさり合格。

さて、白バイ新隊員は訓練の一環として公用車のTL125バイアルスに乗って訓練を受けるんだけど、これが5台を20人くらいで回し乗りだもんでけっこうボロボロ。
同じTL125なら、自分で買ったマイバイクで訓練を受けてもいい、というんで新車のTL125を買います。

蛇足ながら、この買ったTL125はSUZUKI.RLに乗り換える時、当時高校生だった京都の小谷重夫に18万円で売った記憶あり。

戦うバイクを手に入れたら「大会に出て腕試しをしたい」はしごく当然の成りゆきで、大会に出るんだったら、当時、白バイ全国大会のある鈴鹿サーキットである大会に出てみよう、も自然の成りゆき。
で、昔で言うノービスクラス、今で言う国内B級クラスで出て「初戦いきなり1位優勝」。

この時に出ていて全国的に今でも有名人なのは、「ミタニのひげ親父こと三谷正次さんと、自転車のモンティ輸入元の平野博さん」ですね。
当時はクラス分けが二つしかなくて“エキスパートとノービス”で、お二人ともにエキスパートクラスだったし、すごくうまかった記憶あり。

と、ここまでは、白バイ新入生新隊員訓練のお話。

例えば、専門学校の生徒はほとんどが卒業しますと、それぞれの専門のお店なりに紹介され職を得て、そこへ就職していきます。
ですが、学校も認める優秀なのは卒業しても学校が手放さず、そのまま残して先生の見習いをさせたりして、さらに専門的な勉強をさせ、自分ところの学校の為に居残らせるのが普通のやり方。

大阪デザイナー学園と関西経理専門学校を卒業して、そのまま学校に残らされたのを二人知っていますが、とても優秀で頭のいい方ですね。二人とも、当然のように、今はその学校の講師や管理職になられています。

白バイ隊員になって本部で三ヶ月間の新隊員訓練を受けたのち、全員が各地方の分駐所に配属されて交通取り締まりなんかの「本物の白バイ隊員」に育っていきます。
ですが、私の場合「黒山巡査、お前は取り締まりなんかせんでいいから、このまま訓練班に残って、全国大会の選手養成の方へ進め」でした。

元国際スーパーA級の西本良太選手は千葉県警へと進みましたが、まさに私と同じ道を歩んでいますね。
同じく元国際A級の宮本龍馬選手は大阪府警へと進みましたが、おそらく同じ道を歩むと思います。

大月ヤマハの秘蔵っ子、現在、千葉県警の西元良太巡査です。
私の持つ白バイ全国大会初出場、個人総合2位という記録は残念ながら抜けませんでした。

真ん中が、現在、大阪府警察官の宮本竜馬巡査で、不肖、私めの後輩です。
まだ交番所勤務ですが、近い将来、交機隊白バイ転勤は間違いなし。
左は二郎で、右は鳥取の山本直樹ですよ。

今は白バイ大会の歴史が47回目と古いから、各都道府県の交通機動隊も古かぶ経験者が多いので、指導する警察官先輩に事欠かないでしょう。
大阪府警の現在の訓練係りの係長(警部補)は、現役の国際A級で過去に北海道大会を含めて全日本全戦フルエントリーという勲章を持ち、白バイ大会も個人総合3位の経歴の持ち主。

今のどのスポーツ界も「教える先生の方が若くて、まだ生徒よりもうまい」という、指導者側の悩みがありますよね。大阪府警白バイ訓練係で、一番上手いのが「教える人を教える係長」というのも、また違う意味で問題があるかも。

今年の白バイ全国大会は47回目だけど、でも、私の時代はまだ第6回大会を目指してやっていた時代で、先輩白バイ隊員が後輩を指導をしようにも、その先輩も現役という時代。
ライバルの後輩に誰が教えるか~、ですよ。

こうなると「部外講師」にお願いするのが普通で、白バイといえばHONDAなんですが、当時、なぜかSUZUKIの講師の方がおいでになり、私にとって初めてプロレーサー講師との出会いです。

これも政治的な話ですが、何度もしつこく書いていますが「白バイといえばHONDA」ですが、この一角を崩してSUZUKIの白バイを売り込みたい、という作戦でして、だから無償で有名人レーサー講師を派遣してきたというのが実際でしょう。

でもでも、当時のSUZUKIのバイクは2サイクルしかなくて、例えばSUZUKI/GT750の2stを白バイに使うと「カン高い音」と「煙を吐く」の2点の大問題があり、結局、SUZUKIの2st白バイは見送られたんだって。

以下、次号に続く~♪