私のSUZUKIと全日本4 連載・第10回


●スズキのレーサー整備室

まず最初にさせられたのは、下ズボンはGパンだったのでそのままだったけど、上着は働いている皆さんと同じ、黄色い作業服(ジャンパー)を着させられ、必ずかぶれと、SUZUKIマークの入った、これも黄色い専用作業帽子をわたされます。

私の持ちこんだバイクに対して「あ~せい、こ~せい」と指示を出すのは名倉さんで、フレームをぶった切る人、治具定盤に固定してフレームセンターを出す人、ぶった切ったフレームを小さく溶接しなおす人、アンダーガードとかカラーとか各小物を作る人、旋盤担当の人やフライス盤担当の人、等々がそれぞれ役割分担してお仕事に取りかかります。

はい、いっかいの、手先の器用な警察官の出番はまるでなく、単なる作業見学人です。名倉さんとしても「見て、整備と修理を覚えろ」が目的みたいだったような気がする。

白バイ警察官は、仕事をする時は上下制服を着るように、レーサー整備室の皆さんも帽子をきちんとかぶり、仕事着というか制服を着ているのは当たり前なんですが、当時は整備は趣味で、仕事と思っていないから、いつもは警察官の非番日の定番である、便所のつっかけゴム草履とくたくたのジャージ上下で整備です。

厨房に入る時は制服の白い厨房着を着る、この当たり前のことさえを理解していなかったのはすごいですよね。以下、知っている人にはアホでバカみたいな内容ですが、不屈不撓の我慢をしてお読みくださいね。私と同じく“まったく何も知らないのの、それ以下のところからスタートする人”のために、と思って書いていますのでお許しください。

もう一度の確認です。以下に書いていく作業と道具や材料は、SUZUKIのワークスレーサー整備室とはいえ「43年前」の事ですからね。お知りおきを~。

●アンダーガードのこと

下まで回り込んでいる鉄フレームをぶった切って、ここに今の時代のと同じようにアルミ板のアンダーガードを取り付ける改良をするわけだけど、この時にはアルミの関して知識はまったくなし。でも記憶だけあって、あの時にやったアルミの曲げ方はあれでいいのかな、との疑問記憶は残っています。

ようするに、封筒みたいな長方形のまっすぐなアルミ板を、ソリみたいな形に曲げたわけだけど、その曲げ方に今から考えると「おかしいじゃん」という内容。

荒っぽく、鉄は真っ赤に焼いて曲げるとアメのように曲がります。そして冷えると元の強度に戻ります。炭素の入っている鉄は880度くらいまで真っ赤に焼いていきなり水か油にジューって浸けると“焼き”が入ってカチンカチンになります。

でもこれだと、固すぎてすぐに折れたり欠けたりするので、200~260度くらいにもう一度熱を加えてそこでやめ、自然放置して冷ましますと「強くてしなりのある」鉄(はがね)になります。

この事を“焼戻し”と言いますが、荒っぽく、これが刃物や工具の作り方です。

ここで880度とか言いますが、昔の鍛冶屋さんは薄暗い裸電球の下で鉄の焼け具合、つまり「銅色の赤か・淡いワラ色風赤か・輝くような金色か」うんぬんで、今、鉄の温度は何度と見極めていたそう。少量生産の鍛冶屋さんは今もそういうところがあるだろうけど、現代では総じて「温度計のついた炉」でやっているみたい。

経験もなにもない私ら民間人は「1100度まで上がる温度計のついた炉」を手に入れるのが一番。これだと焼き入れ温度880度とか、焼き戻し温度、ナイフは240度、タガネは280度、ドリルは250度とか1度単位の温度管理が簡単です。うちの工場にもありますが、新品買ったんでけっこう高かったけど、そんなにしょっちゅう使うわけでもないので、ふだんはピザ焼き釜に重宝しています。

アルミの話に戻します。アルミは鉄とちがって、一般的に市販品には焼きが入りません。温めたり溶接したりすると、なまくらになって何をしても弱いままなのと、自然冷却で元の強度に戻るものの二種類だけです。

こん時に使っていたアンダーガードの材料のアルミ(ジュラルミン)はA2017Sと申しまして、戦時中ゼロ戦の部品として使われていた歴史ある強度の硬いアルミです。でもこの17S材アルミは温めたり溶接したりするとフニャフニャになって、もう二度と元の強度には戻らず使い物にならない性質のアルミでもあるのです。

はい、この時のRL改アンダーガードの材料は17S(材料の板にそう書いていた)で、これをバーナーであぶって柔らくして曲げていたのを覚えている。溶接するとかの高い温度はフニャフニャになってダメだけど、温めて強引に曲げるくらいの温度は大丈夫なのかもしれない。この真相は分からず。

今の私だったら、やっぱりアンダーガードを作るのに絶対に熱は加えません。プレスだと15度くらいは何とか曲がるので、その範囲で作ります。

記憶では温めて曲げたアンダーガードをつけてもらって「これでステアケースは大丈夫」言われてガンガンやっても、さすがにスズキワークス製でまったく曲がらないなあ、の記憶もまたあって、温めるくらいはOKなのが正解かもね。これは今でも分からずです。

SUZUKIのワークスメカニックも、アルミのアンダーガードというもの自体がよくわかっていなくて「熱くすると曲がる」の鉄感覚でやったのかもしれない。すべては昔の話です。

●フレームの溶接のこと

何も知らない当時は、溶接とは、板金屋さんでよく見かける「酸素とアセチレンを混ぜた青いガス炎」で鉄を溶かして溶接するのがすべてと思っていました。で、実際にこのスズキレーサー整備室で大柄なRL250のフレームをぶった切って小ぶりに溶接する時も、電気(アーク)溶接ではなくてこのガス溶接でした。当時、アルゴン溶接なんかはあったのかしら? 今どき、アルゴン溶接機のないレース工場はないんで、この時なかったという事は当時は存在しなかったのかもしれない。

ガスで溶かして溶接する。この方法がいいのか悪いのか、まったく知識がないんで、当時は「こうやるのかあ」で終わり。だから自分でもやりたくて、大阪に帰ってから非番日に知り合いの板金屋さんに行って、ガス溶接の練習をものすごくしたのを覚えている。

今考えると、当時はこれしかなかったのかもしれないけど、このガス溶接は最悪の溶接方法です。荒っぽく言うと「溶接は大気中でやってはいけない」ですね。溶接する部分にだけ不活性ガス、つまり“アルゴンガスとか炭酸ガス”なんかをぶっかけて火花の周囲を囲い、その囲いのガスの中で溶接しないと強度が出ません。

チタンのエキパイなんか、表から溶接しているのにパイプの内側からもアルゴンガスを流しておかないとうまく溶接できないほどです。

溶接は大気中でやってはいけない、ですが、例えば鉄とアルミは地球上では溶接できませんが、真空の宇宙ではできる方法があると聞きます。電気(アーク)溶接はバチバチとものすごい多量の火花が出ますが、あれはものすごい火花で空気を外へ追い出し、火花の中だけ真空状態にして鉄を溶かしているのだそう。

よくは知らないけど、一般的に今でもこの真空状態の中でやる電気(アーク)溶接が一番溶け込みが深くて強度が出ると聞いています。昔の造船の船作りはすべて電気(アーク)溶接です。でも、大味強力すぎて細かいものができないという欠点もあるのです。

こんな事、今だから知っている事なんだけど、すべて、溶接というものは鉄であれアルミであれ、大気中にさらして溶接すると、溶けた溶接池の中に、大気の不純物が混ざりこむのだそう。溶けた金属の結晶が同じ方向を向き合って固まらないと強度が出ないマルテンサイト組織うんぬんの難しいお話はさておき、ようするに、不純物が混ざりこむと金属の結晶が同じ方向を向かずランダムになって溶接の強度が出ないんだって。

溶接の部類ではありませんが、クロモリパイプの自転車やバイクのフレームは「ロウ付け」でくっつけます。このロウ付けは母材を溶かさずに、わかりやすく言えば“すごく強い半田付け”ですね。パイプや板を合わせておいて温め、その隙間に銀ロウ棒を溶かして流し込んでくっつけます。

まあ、半田付けの大親分なんだけど、パイプの組み合わせのようなバイクのフレームの場合は、溶接したのと同じくらいの強度が出ます。アベノミクス3本の矢と同じく、一本一箇所だけのロウ付けは弱いけど、複数のパイプを複雑に組み合わせた部分をくっつけるには強度上問題ないんだって。

金属は熱を加えると膨張して曲がります。当然、熱で曲がった分、冷めると元には戻りますが正しくは元の位置に戻ってはくれません。で、バイクのフレームを作る時は四方八方からがんじがらめに押さえつけてやります。でもこのロウ付けレベルの熱の加え方では金属は曲がりませんので、民間工場の単品製作では簡単にくっつけられるので重宝されています。ロウ付けの事を、別名「低温溶接」とも言うそうです。

今回はガス溶接でフレームをくっつけていたけど、すべての部分を治具という固定具でがんじがらめに固めて溶接していたのも覚えてる。今考えると、ロウ付けはこうしないでも、あらかた固定しただけでフレームを作れるからベストです。ビーミッシュSUZUKIのフレームは、このロウ付けで作っていますね。

とにもかくにもまぁ、単なるガス溶接でぶった切ったフレームをくっつけたのを覚えている。

●工具類は壁に掛ける

スナップオンとかハゼットとかKTCとか、トップブランドの工具に興味のある人はたくさんいます。ですが、私は当時から工具ではなくて“工作機械”に興味がありました。ものをバラしたり組んだりするのは工具で、ものを作るのは工作機械です。ものをいじるんじゃなくて、ものを作る、ですね。ですんで、作る機械にすごく興味があって当たり前。

最終学歴が大阪府警察学校/柔道部で、高校も普通科で工業系ではないから工具の使い方や工作機械の扱い方の知識はゼロ以下。でもそれらを扱うこと、操作することに、バイクに乗ることと同じくらいにものすごく憧れていたのです。

ここやね。知識はなくても興味のあること好きなことを見つけて、それ一本に進んでいく。これが人生楽しく生きていく基本でしょう。

見たり聞いたりしていた工作機械、旋盤・フライス盤・プレス機などなどきれいに整理整頓されて並んでいたのには震え上がるほどに感激。工具は引き出し式の工具箱に入れておくものと思っていたのに、すべて工具は一目瞭然、すぐに分かるように壁に並べて掛けてある。

この後、前に書いたように各メーカーのレーサー整備室を渡り歩き拝見しましたが、すべて工具類は壁に掛けてある。工具は工具箱に入れる発想しかなかった私には、工具は壁に掛ける、これも衝撃的な出来事でした。

工具類を壁に掛けるには、それなりの工作室のスペースがないと無理なんだけど、必要な工具を探さなくても、見てすぐに分かるのがいいですね。

物事をするに許可が必要です。たとえば、お仕事で有給休暇をもらうには上司の許可がいります。警察の場合、体を動かす動作行動に関しては許可が必要で、これには慣れていますが、ここレーサー整備室では、工作機械や工具を使うのに「いちいち責任者に許可をもらって使う」システムであるのにもビックリ。

工場で働く人にとって当たり前のことでしょうが、壁に掛けてある工具類から各種工作機械まで、すべてに責任者が決まっていて、それを使うときは必ず責任者の許可をもらって使っている。

警察組織は人間関係のごちゃごちゃをまとめるのがお仕事なんで、ある程度のことは“馴れ合いナ~ナ”の部分も必要です。ですが初めて見た機械相手のお仕事は、“馴れ合いナ~ナは大怪我をする”のは見ていたら分かるんで、やっぱりこうやらんといかんのか、と思ったのは記憶にあり。

●旋盤でいとも簡単に鉄のカラーを作る

一番感激したのが、工作加工機械を使っていとも簡単に部品を作りよる、ということ。バイクをいじる事よりも、機械を使ってものを作る方に興味があるんで、この感想は当たり前かもしれない。

たとえば“ご飯だけあまった”とします。バリバリ働いているまっ最中の中華料理店の厨房にそのご飯を持っていき「焼き飯作って」と言えば、アッという間に焼き飯が出来上がります。これって作る側にするとすべて準備の整った場所で作るから「赤子の手をひねる」ようなものだけど、作ってもらう側としては「すごいなぁ」の思い。

名倉スペシャルをどんどん改良していく過程で、寸法違いとか長さが合わないとかはカラー(隙間調整用のわっか)を作って差し込み調整します。一番わかりやすいのが、前ホイールと後ろホイールは横からシャフトを差し込んで組み付けますが、そのシャフトの中に必ずワッシャの親分みたいなカラーを差し込んで幅を調整し締め付けますよね。

このカラーみたいなのを、熟練工が工作機械で作れば瞬間なんだけど、私達民間人はワッシャを何枚も重ねてごまかすしかなし。特に段付きカラーになると、作るほうは簡単でしょうがワッシャを重ねてごまかすのは無理。

見ていたら旋盤は旋盤専門、フライス盤はフライス専門、のそれぞれの担当の専門職の技術者がいて、本来の仕事の合間に作ってくれている。大量生産をする工作機械は大掛かりなものになるでしょうけど、レーサー整備室にあるのは旋盤にしろフライス盤にしろ、大学の研究室にあるような“ミニバージョン”の卓上機械。

でも大きな機械よりも小さな卓上機械の方が、精度はいいのです。大きいのは大味、は機械にも言えるのです。この時に誓ったのが「絶対に全部、家にそろえたる」ですね。

今どき、日曜大工の店に行けば電気ドリルは3,000円くらいで売っていますよね。穴を開ける機械は、最初はここからスタートします。ですが私の時代の穴を開ける機械は、手回しハンドルの穴あけドリルからスタートしたのですよ。

当時でも電気ドリルは売っていましたが、大ぶりで重く、当時の価格で1万円以上で相当に高いのです。写真にあるのは、私がまだ結婚もしていない時分に最初に買った手回しドリル。工作機械記念品です。

 穴をあけるのに電気ドリルでなくて“ボール盤”という卓上型穴あけ機械であけるのも初めて見て知った。アルミ板や鉄板に穴をあけるのは、手で持って上から押さえつけてあける電気ドリルが唯一の道具だと思っていたのに、簡単な機械で簡単に穴をあけていたのも衝撃。

穴をあける機械があってもドリルがなきゃ穴はあきません。私でも当時は必要分の何本かを持っていましたが、レーサー整備室ではものすごい数の寸法ちがいのドリルが順番にきれいに並べてあるのにも感激。

穴をあけて切れ味が悪くなると、グラインダーという回転して鉄を削る道具でササ~っといとも簡単に研ぎ直して穴あけを続けているのにも感激でした。
もっともっと感激する他の事もあるけど、以下は次号で~。